中学生日記
市立北沼中学校三年A組 二岡 友子
学校から帰る道。友達の知里と一緒に帰っている。
中学三年の秋。受験を前にして、同じ学年の人は皆どんな形であっても進路について考えているようだった。
三年生になって、夏が過ぎると、一般的な中学校は部活の活動がなくなる。
私の中学も例外ではなく、二年半お世話になったバレー部を引退した。
今まではなかなか一緒に帰れなかった人と一緒に帰れるようになって、それはそれで楽しい。
「生活のリズムをいきなり変えて勉強しろ、って言われても困るよねー。友子」
そう、知里の言う通り単純に時間が増えた、違う人と帰れる、というだけではすまない。
せっかく放課後早い時間から会えるようになるのに、遊んでいられない、というのは寂しい。
私が頷いたのを確認してから、知里は今年何度目かの質問をしてきた。
「友子は公立の南長嶋志望なんでしょう? なら勉強しなきゃねー。あそこ、ここらへんじゃ結構な進学校だしさ。私は別に高望みはしないからいいんだけどさ」
「まぁね」
そこから、しばし沈黙。話が続いてもおかしくない流れだったけど、なんとなく止まる。こういうことはたまにある。
沈黙を破ったのは知里だった。しばらく後ろを振り返ってからの発言だった。
「後ろさ、高橋君と阿部君だよね。あいつらってさ、家こっちじゃなくない?」
そう言われ、私も振り返る。そこにはたしかに制服を着た高橋君と阿部君の姿があった。
公立の小中学校の場合、学校が多くの生徒の中心で、家が全く反対の方向だということは珍しくない。
阿部君とは小学生の頃少し遊んだから確信をもって言えるし、高橋君も、絶対違う。こっちの方向ではない。
「たしかにいるね。なんでだろ。スーパーにでも用事があるのかな」
私は、いくつか浮かべた可能性の中から、一番無難なものを選んでいた。
学校から西に百メーターほど行ったところに、文房具から服、野菜までだいたいなんでも売っている七階建てのスーパーがある。テナントには本屋さんや図書館、お医者さんまであるから、デパートと言ってもそれほど間違ってはいないかもしれない。
ここらへんに住む人間にとって、そこはなんでも揃う便利な店だ。
学校帰りで寄る人も珍しくない。
家と反対方向に来ているということは、それが一番自然なようにも思えた。
知里は、私の眼を数秒、足元から膝上のスカートの下までを数秒、制服のスカートから首までを数秒見てから、冗談を言う雰囲気で喋った。
「友子はさ、もてるから、つけてきてるのかもよー。なんてね。阿部君も高橋君もそこまではしないか。学校でだって会えるもんね」
「ははは。そりゃないでしょ。知里が狙われてるのかもよー」
私が言ったのは完全に冗談だった。悪いけど知里が好きだという男子の話は聞いたことがない。
ただ、私の場合は……。
知里と別れ、私は少し試してみることにした。
私は中学生の間に一度引っ越した。転校するのが普通な距離ではあったけど、今いる友達や、気になる男子と別れるのが嫌なのもあって、電車で通学する道を選んだ。
スーパーと駅は同じ道にある。
私も過去何度か学校帰りに寄っている。
帰るのが遅くなって勉強する時間が減るのは嫌だけど、知ることができるのなら、知っておきたかった。
私は、後ろに高橋君と阿部君の姿が見えたのを確認してから、スーパーに入った。
一階と二階は服が売っている。
学生が寄るなら、日用品や本や駄菓子が売っている三階だ。私は、エスカレーターで三階まで上がった。
スーパーといえど、意外とフロアは広い。
エスカレーターやエレベーターや階段から離れた位置に留まる。しかし、こっちからは見える。
しばらくすると、高橋君と阿部君が現れた。
彼らは、何を買いたいのかわからない。
文房具や駄菓子には目もくれず、学生が興味をもつようなものはなさそうなところへ歩いていく。
私は、少しずつ予感が確信に近づいているのを感じていた。
少し、後ろを振り向く。
その時、高橋君と目が合った。彼は、こっちを見てから、笑った。
あれから少し経って、昼休みの教室を見回すことにしてみた。
たしかに今までは来ていなかったと思う阿部君が来だしたのに気づいた。
彼は、クラス内でも頭の良いことで有名な二人と話している。たまにちらちらこちらを見ている気もするけど、それに嫌らしさは感じなかった。
それからしばらくして、高橋君が来る。高橋君は、阿部君とクラスの秀才たちに混じって話し出して、またしばらくすると去っていく。
ちらっとこっちを見てから。
私が引っ越した地、そこは完全な住宅街だ。
駅はあるが、わざわざここに降りてまで行く価値がある店はない。
なのに……
「なんで、いるんだろう」
思わず、口に出してしまう。
帰宅路、まだ家からは遠いけど遠くから姿が見える。
高橋君……。
なんか、怖くなってきた。
動けなくなった。相手は私に気づいていないようだった。
なんで、なんで……。なんで、高橋君が来てるんだろう。私に、会いに来たのかな。
正直、私は、彼のことをなんとも思ってなかった。でも、意識せざるを得なくなった。悪いほうに。
たとえば、彼が昔仲よくて引っ越してた美男子で、戻ってきて、私に会いに来た。とかなら喜ぶべきかもしれない。でも、お世辞にも私の美的感覚からはカッコイイとは言えない奴だ。
それも、特別仲が良いわけではない。そんな人が、他に何もない家の近くにいる、っていう事実。
それは、私に十分な恐怖を与えた。これから学校に行くのが怖くなるくらいに。
どれだけの時が経っただろうか。気づくと、高橋君はいなくなっていた。
「高橋君って、南長嶋志望みたいだよ」
知里から聞いた情報。私は、即断した。
「やっぱり、私立に行くよ」
知里は戸惑ったのか、納得したのか一瞬わからない表情をしてから
「うん……怖いもんね。でも、南長嶋、本当に行きたかったんじゃないの? いいの?」
「しかたないよ。家的には問題ないしね。勉強する教科が減ったと思うことにするよ」
ある日の放課後。急な雨が降り出した。
私は、傘を忘れてしまっていたし、他の人も多く忘れていた。
狭い下駄箱に人が溢れている。
残念ながら、友達もみんな忘れていた。
走るか。
「傘、貸そうか?」
まさに今、雨の中を走り出そうとしたときだった。
その声がする方を振り向くと、いたのは高橋君と阿部君。
声をかけたのは今となっては当然のようにも思える、高橋君。
鳥肌がたった気がした。
私は、笑いながら
「いや、いいよ。濡れて帰るよ」
と伝えてから、雨の中を走り出した。
髪と足に刺さる水が、体を震わした。
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