中学生日記

市立北沼中学校三年B組  阿部 慎


「一緒に帰ろうぜ」
 高橋が声をかけてきた。中三の秋。
 多くの三年生は部活を引退し、今まで帰宅部の使命として一人で帰ることしかできなかった俺にも、こうやって声をかけられることが珍しくはなくなってきた。
 あぁ。そう頷き下駄箱を出る。
 公立の中学。高校や私立の中学校なら話は別かもしれないが、家の方向は皆ばらばらだ。
 門は東と西がある。俺と高橋は東門で帰るのが普通だ。
 だが、高橋が歩き出したのは西。
「どうしてこっちなんだ?」
 当然の疑問を口にする。
 高橋は、一瞬嬉しそうな顔をしてから
「ちょっと、な。付き合ってくれ」
 と答えた。
 俺と高橋は、なかなか古い付き合いだ。受験に大事な時期とはいえ、底辺校か定時かを受けるしか選択肢が残ってない俺には、ちょっとしたタイムロスは関係なかった。
 黙ってついていくことにした。


 西門を出ると、そこから百メートルほどの直線がある。
 直線が終わったところで、真っ直ぐ行くと神社などがある住宅街、右に行けばまた長い直線。左に行くと駅とスーパーがある。
 前方にはぽつぽつと人影がある。視力はないが、こだわりで眼鏡をつけない俺には、誰が誰かはわからない。
 いつまでも黙ってついていくのも嫌だから、今まで聞こうと思って聞けなかったことを聞いてみようとした。
 「そういや、高橋。お前はどこ志望なんだ?」,br>  一瞬、間があった。何かを考えていたのだろうか。
「あぁ、僕? 僕は南長嶋に行きたいな、と思ってる」
 南長嶋。ここら辺ではなかなかの進学校だ。俺が背伸びしても逆立ちしても受かるところではない。俺の記憶では、高橋にしては高望みなように思えた。
「ぶっちゃけ、お前で受かるのか? 内申とか、厳しいんじゃないの」
「正直、厳しいよ。でも、あの学校気に入ったんだよ。だから、これから勉強しまくって、受かろうと思う」
「そうか」
 またしばしの沈黙。高橋の顔を見てみると、前方の一点を見つめているようだった。
 その視線の先を辿ってみると、二人の女子がいた。俺の視力でもスカートかズボンかくらいはわかる。雰囲気からして同学年だということも。
 知り合いの男子が同学年の女子を見つめている。これはからかいたくなる。
「あの二人、誰なんだろう。俺の視力じゃわからないけど」
 また、一瞬間があった。
「あぁ、二岡さんと堀田さんだな」
「どっちかに気でもあるのか? ずっと見てる気がするけど。つーか、こっちに用ってまさか後つけることじゃないだろうな」
 言いながら、堀田さんに高橋が興味あるということはないと思った。高橋の好みから言っても、男子の話を思い出しても、可能性は低い。
 逆に、二岡さんは人気だ。高橋の好みとも一致する。
「さぁな」
 そう呟くと、高橋は歩くスピードを速めた。
 前を見ると、二岡さんと堀田さんは見えなくなっていた。


「で、お前はここに何の用があるんだ? おごらねーぞ」
 七階建てのスーパーの三階に俺と高橋はいる。
 スーパーと言っても色々売っているから、デパートと言ったほうがイメージとは一致するかもしれない。
 三階は、文房具と駄菓子、日用品にテナントの本屋がある。
 だが、高橋は文房具と駄菓子をスルーして鍋などがあるほうへ歩いている。
「おごらせるつもりはないよ。勉強の気分転換になんとなく寄ってみただけ、だよ」
 本当かよ。そう呟き、なんとなく目に留まった鍋を触ってみてみた。
 数秒触っていたが、すぐ飽き、高橋に視線を戻す。
 高橋はこっちを向いてから、じゃあ帰るか、と言い歩き出した。


「爆弾システムなんて邪道だね。ゲームだからと言って色々な人とデートするなんて信じられん」
「その、色々な人に引っ張られる感がもてているみたいでいいんじゃない。それがわからないとはね」
「つーか、僕は学園物のゲームをすることそのものが信じらないね」
 三人それぞれの主張をする。昼休みの隣の教室。
 話の主題は「女の子をたぶらかすゲームについて」
 ちなみに、二回目の発言は女子だ。
 今まで、学校でそういう話をすることはなかったが、ふと話題をふってみたらかなり話せることに気付き、こうして昼休みごとに話すようになった。
 俺も含めた三人は小学校が同じだったから、すぐ打ち解けた。  学力では俺とその二人の間には雲泥の差があったが、それを気にしているようには見えなかったし、俺が気にするつもりはなかった。
 話しながら、どうしても気になってしまうことがあり、二人から視線を外してしまう。
 視線の先は、二岡さん。別に俺が彼女に恋した、というわけではない。
 高橋は、深くは語らない。が、以前とった謎の行動から推測して、二岡さんに興味があるのだろう。
 どこが魅力的なのか、とか。他にも、何か話していたら盗み聞きしようとしていた。
 噂はしてないが考えたからか、高橋が現れた。
「お前らなんの話してるんだよ」
 言葉を少しだけ選らんで答える。
「ゲームについてだよ。お前が嫌いそうなね」
 高橋は、実はそういうゲームにはまってたこともあったのだが、嫌いということで通している。
 高橋は少し呆れた顔をして、俺らから視線を外してから、教室を出て行った。
 俺と秀才二人は話し続けた。


「ちょっと付き合ってくれないか」
 ある日、高橋に声をかけられた。断る理由もないし、興味があったから頷いた。
 普段はあまり行かないところだった。北の住宅街に向かっているのだろうか。
「僕さ、たまにこっちのほうへ来るんだよ」
 沈黙が続いている中、語りだした。相槌を打つことに専念しよう。
「なんもないのに?」
「まぁ、たしかになにもないな。でも、なんとなく、きちゃうんだよな」
「へぇ。でも、本当に何もないの?」
「二岡さん、引っ越してたの知ってるか?」
「いや、知らない」
「で、電車で来てるんだよ」
「俺なら転校しちゃうけどな」
 転校する距離なのに電車やバスで登校する生徒、というのは、極端に珍しいわけではない。小学校の頃の知り合いにそういう奴はいた。
 そういう奴がそういう行動を起こす理由はだいたい一つ『友達と別れたくないから』
 二岡さんもそうなんだろう、きっと。
「うん。北中を愛してるのかもな」
「というよりは、誰か気になる奴がいるんじゃないか? ガルベスとか」
 ガルベスというのは北中にいる外国人。日本語もかなり喋れるし、なによりサッカーなどがものすごく上手いということで、女子の人気は高かった。
「……でも、それでも、僕にとっては嬉しかったんだよ。同じ中学にいられる、ってことが。僕にとって、二岡さんは太陽みたいだった。太陽をずっと浴びてなかったら、人間は死ぬだろ」
 黙って先を促す。
「去年、同じクラスだったんだけどさ。振りまくオーラ、とでも言うのかな。元気、なんてのは安っぽい言葉かもしれないけど、そういうのをくれた気がするんだ」
「そうなんだ。意識したことはなかったな」
「僕の夢は知ってるよな?」
 知っている。俺の『世界征服』くらい馬鹿らしいように聞こえるもの。
「世界平和、だったっけ」
 高橋は照れた顔をした。
「あぁ。それを達成するためにはさ、希望を持たなきゃだめだと思うんだよ。その希望を与えてくれる人だと思う。二岡さんは。僕にだけかもしれないけどね」
 なるほど。高橋は高橋なりに色々と考えていることがあるんだな。
 でも、何より、この話をしている高橋は嬉しそうだったし、その想いは純粋だった。
「ここだよ。ここが、彼女の家。こっちには川があるだろ。この川、結構好きなんだよな」
 なんで家を知ってるんだろう、とか。なんで引っ越したことを知ってるんだろう、とか。
 そんなことは細かいことのように思えてきた。
 頭の一部では、高橋が一般的にはストーカーだということがわかっていた。
 それでも、俺は、高橋を応援しようと決めた。
 「俺は、少しでも、彼女と接点を持ちたいんだ」


「二岡さんは南長嶋志望だよ」
 秀才二人のうち一人からの情報。
 なるほど。かなり厳しめのところを志望している理由がはっきりした。
 高橋には夢を掴んでほしい。


 ある日の放課後、急に大雨が降り出した。
 皆が皆傘を忘れていた。もちろん俺も例外ではなかった。
 狭い下駄箱に人が溢れる。
 隣には高橋がいる。
「なんで、お前は傘持ってるんだよ」
「僕だからね」
 いまいち理由になってない。
 下駄箱で絶望している人たちの中に、知っている顔を見つけた。二岡さんだった。
 彼女も、傘を忘れているようだった。
「高橋、お前今日傘何本持ってる?」
「一本だ」
 そう答えた直後、高橋も二岡さんを見つけたようだった。
「傘、貸そうか?」
 たしかに、高橋はそう言った。二岡さんは苦笑いをしながら
「いや、いいよ。濡れて帰るよ」
 と答え、走り出した。
 高橋は、少し落ち込んでいるようだった。同時に、喜んでいるようにも見えた。
「阿部、お前はどうする?」
「俺は雨あがるまで待つよ。先帰りな」
 それを聞くと、傘を差し、一人で高橋は歩き出した。
 黒い雲に、大粒の雨。これが晴れて、ずっと太陽を浴びれる日常。傘を差さずに歩ける日。
 それを、俺も望むようになっていた。

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