正義の味方



「耐震強度偽装問題で逮捕された中水流(なかずる)慎也容疑者ですが……」
 高二の夏。夏休みの正午過ぎ。祖母の家でぼーっとテレビを見ている。番組はニュース。甲子園の間に流れるやつだ。この時期親族はこの家に集まっている。人手は余るから自分がやることもない。
「建物はなぁー。んなことやっちゃだめだよ」
 隣にいた叔父さんがコメントをしている。適当に頷く。
 この事件は、建築家がマンションの強度を偽装して設計して、基準に満たないマンションがあることが問題となっているものだ。
 たしかに、自宅がマンションの身としては怖い話だ。
「ちょっと。今暇かしら? この子と外で遊んできてくれる?」
 そんなことを考えていると、叔母さんから頼まれた。この子とは叔母さんの息子。つまり自分から見たら従弟だ。こっちに駆けてくる少年を見つめ、まぁすることもないしと引き受けることにした。


「くらえ! ひっさつ! メッセージキック!」
 公園の砂場。赤いヘルメットをかぶった人形の蹴りで吹っ飛ぶ。
 もちろんやられ役らしい捨て台詞も付属だ。
 従弟はついこの間小学校に入学した気がする。特撮ヒーローの人形で遊ぶのに熱心なことに関しても疑問はない。自分もそうだった。
「お兄ちゃん、あれトツネタンだよ! いっしょに戦わせようよ」
 指で示された方向を見ると、ベンチに男の子が座っている。
 その子の手には、白いスーツを着た、いかにも雑魚敵っぽい人形。
 これがトツネタンなのだろうが、確認のため従弟に質問してみた。
「お兄ちゃんメッセンジャー知らないの? 郵便戦隊メッセンジャー。もう。教えてあげる。メッセンジャーはね……」
 長めの従弟の講義。だが、学校の授業のような退屈さはなかった。
 粗筋はこうだ。特別な熱きメッセージを届ける部隊、メッセンジャーをことごとく邪魔する組織トフソロクイマ。ボスであるツイゲルビは昔メッセンジャーに自分に関する誤情報を流されて、それ以来メッセンジャーのメッセージを届けさせまいとしている。トツネタンというのはいわゆる戦闘員で、雑魚。きちんと喋れるらしく、それが自分たちの時代とは違うようだ。見所は、五機合体するポストのような赤いロボットとパソコンが溶けたような怪物との戦い。
 自分が小さい頃はここまでストーリーに注意して見てなかったから、最近の子は凄いな。ただ戦うだけが特撮ではないらしい。
 解説を頼んでしまったため時間が空いてしまったけど、一人で遊んでいる同世代の子がいるなら、一緒に遊んだ方がいいだろう。
 ベンチに近付く。長めの髪の影響か、賢そうな少年に話しかける。
「君、今一人なの?」
 彼はこちらの目をしばらく見てから答えた。
「……うん。お母さんももう少ししたらくるから、それまで」
「いっしょにあそぼうよ」
 今度は従弟が提案する。数瞬間があった。
「……うんいいよ。あ、それメッセンジャーだね。ボクも見てるよ」
 それから二人は砂場に戻り遊んでいる。自分は動かず眺めていた。
 必殺技の掛け声やポーズ、やられる声、反撃の声などが聞こえる。
 ある種芝居だろう。一応演劇部の身として、衝動がでてきた。
 そういえば、ちょっと前に今は大学生になっている演劇部の生輩に、デパートの屋上でやるヒーローショーのバイトに誘われてたな。
 なんでも完全に公式なものではなくて、演劇部のOBたちで自主的にやっているものらしい。うちのOBの集まりは、現役部員から見たら憧れの集団だ。奉仕のために報酬なしで芝居をしている。
 OBの人たちと同じ舞台に立って金もらっておけばよかった。
 演劇部員として舞台経験を積め、という先輩の言い分は理解できるし。普通高校生はできないバイトに誘ってくれてたんだから。
 なんで断ったんだろう……そんなことを考えつつ再び意識を砂場に戻してみると、二人は目つきを変えて何か話し出した。さっきまでの必殺技の掛け声などとは違い、こっちまでは聞こえない。
 気になって近付く。話しかけてきたのは従弟ではなかった。
「ねぇねぇお兄さん。メッセンジャーは熱いメッセージ、信じるメッセージ、そういうものを届けてくれるんだよね?」
 さっき仕入れた情報と比べて間違いはない。頷いて先を促す。
「じゃあさ、トフソロクイマが届けたい、信じる熱いメッセージがあったら、メッセンジャーは届けてくれるかな? このトツネタンが言いたいことがあったら、メッセンジャーは届けてくれるかな?」
 即答はできなかった。郵便戦隊メッセンジャーの番組そのものを見ていないし、粗筋は従弟から聞いたのしか知らない。
 でも、こういう隅をついた疑問というのは、小さい頃はとにかくしたくなるものだし、夢を見させてやろうと軽く考えた。
 その前に従弟の考えが現れた。ある意味小学生として普通なもの。
「メッセンジャーは正義だよ。トフソロクイマやトツネタンは悪なんだよ。悪のメッセージを、メッセンジャーは届けないと思うな」
 自論も発表する。これは、高校生としての意見。ある意味普通。
「トフソロクイマにいるトツネタンたちだって、信じるものがあるだろうね。だから、メッセンジャーがそれを理解したら、きっとそのメッセージを届けてくれるよ。それが本当の正義だと思う」
「ほんとうかな?」
 従弟ではなく自分に対する問い。多分ね≠ニしか答えなかった。
 しばらく沈黙が流れた。破ったのは自分でも従弟でもなかった。
「ボクね、今日久しぶりに友だちと遊んだんだ。みんな相手してくれなくなったから。だからすごくうれしいんだよ。あ、まだ自己紹介してなかったね。これ知ってもお兄さん相手してくれるかな?」
 何を言うのだろう。ちょっと期待をしてしまう。変な名前かと。
「ボク、中水流慎一っていうんだ。中に水が流れるって書くの」  
 中水流……。時の犯罪者の顔と名前を思い出す。『中水流慎也』中水流なんて苗字ここらへんでも聞かないし、全国的にも珍しいだろう。さらに、名前。一文字違いということは……。
 聞いてはならないとは思っても、好奇心が勝ってしまっていた。
「慎一君。お父さんの名前はなんていうのかな?」
 慎一君はちょっと嫌そうな顔をした。それには慣れが感じられた。
「お兄さんも、それは聞くんだね。慎也、だよ」
 そうか……。ここで今話題の人と接触するとは思わなかった。
「お兄さんも思うの? こくみんのてきのむすこだぞ≠チて。みんなわかってくれないんだ。お兄さんなら、と思ったんだけど」
 ふと従弟のほうを思い出したので見てみるが、話についていけないことを理解しているようだった。しばらく口を挟まないだろう。
「こういうの『ぐち』っていうのかな。お兄さんちょっと聞いてよ。今まで聞いてくれる人がいなかったから。はなしたいんだ」
 意識せず頷いていた。彼の表情はそれ以外の行動を許容しない。
「ぼくにはね、お兄ちゃん……お兄さんのことじゃないよ、がいてね。なんだか難しい名前だったけど、病気にかかってたんだ」
 山谷なく生きてきた自分には、これだけでも充分刺激的だった。
「でね。それを治すためには、とてもお金がかかるんだって。ちょきん全部使ってもだめ、お父さんお母さんのきゅうりょうでもだめ」
 相槌をうつ。淡々と話す彼の口調は、年齢以上の威圧感がある。
「お父さんは口癖のように言ってたよ。お前ら愛してる。守ってやる。助けてやる≠チて。でね、お父さんはお兄ちゃんのために、ちょっと悪いことをしたみたい。テレビによくでるようになった」
 黙ることしかできない。淡々とした語り口調は変わっていない。
「夏休み始まる前に先生に言われたよ。『君のお父さんはみんなに迷惑をかけてるんだよ。悪人なんだ』って。……でもね! お父さんはただお兄ちゃんを助けたかっただけなんだ! ただそれだけなんだ! そうするためには手段がそれしかなかったんだ!」
 一気に勢いを増した声に自分はただただ圧倒されていた。ぼーっと見てたニュースにこんな裏があったという事実以上に、声に。
「実際ね、お兄ちゃんが助かってからは仕事変えるつもりだったんだ、って話もお母さんがしてた。悪いことなのはわかってた……」
 慎一君はちょっと雰囲気を変えてからまた話し出した。
「そんなことがあってからあらためてメッセンジャー見てみたらね、トツネタンがお父さんに見えてきたの」
 メッセンジャー。トツネタン……わかった。最初の質問の意味も。
「メッセンジャーは強いよ。きっとツイゲルビだって、トツネタンだって、トツネタンが何人かかってもメッセンジャーに勝てないことくらいわかってると思うんだ。それでも、戦うっていうのは、それが仕事だから、それをしなければいけない理由があるからなんじゃないかな。きっと、お父さんだって、逮捕されちゃうことくらいわかってたんだよ。なのに悪いことしちゃった。それはさ……」
 この子を、このままにしとくのは、嫌になってきた。嫌だ。自分で何か出来ることがあるなら……。『悪の正義』を見せられるなら。
「そこまでして、ボクたちを守りたかった……。そうみんなに言ってもきっと信じてくれない。わかってくれない。でもメッセンジャーなら……。なんて。お兄さん、ここまで聞いてくれてありがとね」
 トツネタンのメッセージをメッセンジャーが届けるシーンを見せたい。そのためには……。今からで間に合うかわからないけど。
「慎一君。ちょっと二人で遊んでて。すぐ戻ってくるから」
 そういって声が聞こえない程度の距離までダッシュする。そして急いでメモリを探して電話をかける。興奮から指が落ち着かない。
 一分弱の会話を終了すると、ダッシュで砂場に戻る。
「ねぇ慎一君。明日ね、あそこのデパートの屋上にメッセンジャーが来るって聞いたから、来てよ。お母さんと一緒にでもさ」
 手帳の紙をちぎって場所と時間の案内を書いて渡した。


「お久しぶりです、先輩」
 挨拶をする。ヒーローショー当日の舞台裏。目の前には自分を誘った先輩がいる。名前は鈴木。自分より身長が五センチ以上高い。
「あぁー、お前に紹介しとく人がいるよ。こちら田中さん。演劇部の俺の二年先輩だ。このヒーローショーの責任者であり発案者だ」
「田中です。今日は手伝いに名乗りをあげてくれてありがとう。私は司会、鈴木がレッド、君には数人いるトツネタンをやってもらう。雑魚はいっぱいいたほうが迫力が出るからね。ありがたいよ」
 名乗りと同時にこの場にいる三人の役割を教えてくれた田中さんは、身長は鈴木先輩と同程度だが、雰囲気が明らかにデキル人だ。
「ここは正確にはスーパーだし、大きな駅前じゃないからね。ほぼ完全な住宅街だから。遊園地や大きなデパートの公演に比べたらちょっと劣るかもしれないけど、それでも精一杯やろう」
 田中さんが言う通り、ここはデパートというより正確にはスーパーだ。七階建てではあるけど、店は三階まで。四階から六階は駐車場。七階は市民センターというなんとも田舎ちっくな建物だ。
「君も演劇部らしいけど、いい感じに鈴木のレッドにやられてはければいい。出るタイミングは他のトツネタンの台詞に合わせて。いいね。……ちなみに鈴木は空手の有段者だから、本気で殴ったりしたら命の保障はないかもね。だから上手く挑んで上手く負けて」
 少し考える。提案するなら、この人のほうがいいかもしれない。
「田中先輩。無礼を承知で提案があるんです」
 表情を変えたが拒否はない。田中先輩は一応聞いてくれるらしい。
「トツネタンの一人がメッセンジャーに挑む前に頼むんです。僕のメッセージを届けてくれないか。僕は本当はお前の邪魔をしたいんじゃない。だけど戦わなければならない。それが仕事だから。そうしないとここまですら生きていけなかったし、生かせてやれなかったから。そして死ぬ。死ぬ前に、家族にごめんと伝えてくれ≠チて。メッセンジャーはそのトツネタンを倒すんですけど、最後にそのメッセージを客席に向かって叫ぶ……というのはどうでしょう」
 先輩は考えてくれている様子を見せている。ここぞと押してみる。
「こういうのも面白いと思うんです。このくらいの規模のショーで、自主的なもので、一度だけなら不可能じゃないんじゃないですか」
「んー……それも面白そうだね。だけどみんな練習してるし、筋書き通りにやらないと。さっきも言ったけど、君は適当に鈴木レッドにやられてはけてくれればいいんだから。台詞がないような脇役だって重要なんだよ。今日はそれに誇りをもって。いつか主役に、ね」
 田中先輩は静かに去っていった。背中もやはりエリートらしい。
「いきなり責任者に提案とはやるなお前。まぁ、お前は適当に俺にやられてくれ。変なことさえしなきゃ本気で殴ったりはしないから」
 自分が提案したことを勘違いされてるような気がしてきた。台詞を増やしたいとか目立ちたいとかそういうわけではないのにな……。
 どうしよう。鈴木先輩を無視して考える。これをやるには協力が必要不可欠だ。自分だけ騒いだところで止められたり退場させられたり無視されたりしたら意味がない。場が乗ってくれないと。
 ……でも、慎一君を呼んでるし、今、自分が彼にしてやれることはそれしかないだろう。それしかないなら、選択肢は最初からない。
 遠くに見える田中先輩のもとへダッシュしていた。
「先輩、自分、やっちゃうかもしれません。クビでもOBに入れなくてもかまわない。それでも、今はそれをやりたいんです」
「そんなにやりたいの?」
 強く頷く。そして理由を思い切って話してみた。
「どんな理由があっても、私は責任者として許しませんよ。あとがどうなるか、我が校の演劇部員ならわかるよね。君を信じるよ」
 一度自分の目を見て微笑んだ。感想を抱く前に次の言葉は耳に届く。
「あーそうだ。君は着替えてきてくれ。ちょっと早めにな」
 白タイツと覆面を投げられる。しかたなく着替えることにした。
 着替えて戻ってくると、スタッフ全員が円くなって話していた。
 ダッシュで近付く。当然の疑問を口にする。仲間外れの気分だし。
「何話してるんですか?」
「重要なこと。君抜きで話したいね。君はあっち行って客席でも見てテンションあげてて。客が入る舞台はどんな役でもいいものだよ」
 そう答えたのは田中先輩。落ち着きがある、諭す声だった。
 たしかに客席は確認してなかったと袖からこっそり眺めてみた。
 真っ先に慎一君を探す。
 見つけた。最後列の上手端。公園の時よりは動きにくそうな格好をしている。後ろにはお母さんらしき人もいてたまに話している。
 客の入りはまぁまぁ。規模が小さいと認めるだけあって五十人分くらいの席しかない。それで埋まってるのは半分くらい。
 何度目かの決意をした。


「みんなーこんにちはー。今日はメッセンジャーがみんなに伝えたいことがある、って来てくれたんだ。呼んでみよう。せーのっ……」
 舞台が始まった。ステージで田中先輩がヒーローを呼んでいる。テーマソングらしきものが流れ、煙の中五人の覆面タイツが現れる。
 出番もそろそろだ。胸に手を当てなくとも鼓動が脳に響く。
「お前らのメッセージ、届けさせるわけにはいかぬわ」
 自分と同じ白タイツ覆面の宣言。これが舞台へ上がる合図だ。
 上手側にカラフルな五人組。こちら下手側に白い軍団。白軍団の最後尾が自分。適当なファイティングポーズを構え、向かい合う。
 次々とカラフルなメッセンジャーに挑み負ける白いトツネタン。
 舞台に残るトツネタンは自分だけ。自分は相変わらず下手にいる。
 客席を向き、上手を振り返りながら演劇部の意地で台詞を吐く。
「君たちがメッセージを届けることを仕事としているならば、僕のメッセージを届けてくれないか。家族に『ごめん。今は改造人間になってしまったけど、それでもお前らを愛する心はなくなってない。これからは自分たちで生きてくれ』と……。頼む」
 途中で止められるかと思ったがそれはなかった。今は興奮としか形容できない状態にある。噛まなかったし、上手く言えた。
 レッドが歩み出てくる。覆面の上からでも感じる、本物の威圧感。
「悪のメッセージを届けることはできない! だが……俺を一度でも倒すことができたら考えてやろう。お前に俺は殺せないからな。せめて尻をつけさせてみろ。みんな、手出しは無用だ」
「ここでレッドとトツネタンの真剣勝負が始まるようだぞ。みんなで応援すれば、絶対どうにかなるよ。応援しよう。せーのっ」
 レッドに体当たりしようとした。が、足払いをくらって前に倒れる。痛さは感じる。だけど、自分はレッドを倒さねばならない。
 役が降りたとでも言うのだろうか。意識せず台詞が口から出て行く。そして、体もレッドのほうへ向かっていく。周りに音はない。
「悪だ悪だ言うがな! 僕だって好きで悪やってるんじゃない。会社クビになって、どこも雇ってくれなくて。それでも家族を支えたい。そんなときにツイゲルビ様が雇ってくれたんだ。いつ死ぬかわからないような仕事だがな」
 僕の視界にはただ一人レッドがいる。見えないはずの瞳が、たしかに僕には見える。
「それでも、それまで金をくれるのなら、働きたかったんだ。僕たちトツネタンは街に出た場合、お前らを倒さぬ限り死ぬという決まりがある。だけど……このメッセージを届けてくれないのなら、死ねねぇ!」
 今度は腹に衝撃がきた。何か口から出た気もした。立つのすら辛い。倒れるにはほんの少しの妥協があればいい。が、今は引けない。
「それでもお前は悪いことをしているんだ! それは事実だろう。そして俺は正義! だから俺はお前を罰せねばならない。覚悟!」
 今度はあっちから攻撃をしかけてきた。「ぶっ飛ぶ」とはこういうことを言うのだろうとはじめて理解した。地面に打たれる。
 それでも、立ち上がる。そして、レッドへ向かっていく。
「僕はただ、大事なものを、自分の手で、守れるところまで、守りたかっただけなんだ! それだけなんだ!」

あとがき

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